エレベーターの「閉まる」ボタンを、意味もなく連打していたあの頃。
田んぼの泥が沈むのを待つのは、不毛そうだけどとても。
やれることは、すべてやりました。
いま、僕にできることは、もう何もありません。
ただ、じっと待つこと。
それだけです。
カレンダーを見返すと、
3月30日から、今年の田んぼの作業が始まっていました。
山の中にある田んぼなので、
水はすべて、山からの湧き水です。
あれから1ヵ月半もの間。
水源地を掃除しに行ったり。
土を耕したり。
草を刈って、どろで畦(あぜ)を塗ったり。
新しく譲り受けた田んぼです。
不慣れなことも多かったけれど。
いま自分にできる最大限を、ここに注いできました。
そして今日。
どろを平らにならす「代掻き(しろかき)」を終えました。
いよいよ、田植えの準備ができました。
あとは苗を植えるだけ。
ようやく一段落。
……のはずだったのですが。
じつは、すぐに苗を植えることはできないんです。
これだけ手を入れて。
時間をかけて。
力を注いできたにもかかわらず。
いま僕にできるのは、ただ「待つこと」だけ。
水の中に舞い上がったどろ。
それがゆっくりと、底へ沈んでいくのを待つ時間が必要です。
どんなに一生懸命がんばっても。
最後は自然に任せて、待つことしかできない。
東京に住んでいた頃の僕なら。
きっと、この時間がもどかしくてたまらなかったでしょう。
あの頃の僕は、いつも急いでいました。
電車は3分ごとに来るのに。
なぜかいつも、駅の階段を小走りで駆け上がっていました。
エレベーターに乗れば、
すぐに「閉まる」のボタンを連打して。
お昼ご飯は、PCの画面を見ながら。
3分の隙間時間があれば、スマホでメールを返していました。
「待つ時間」は、無駄なもの。
「空白」は、何かで埋めなければいけないもの。
とにかく効率よく。
すぐに結果が出るように。
せわしなく、ぎゅうぎゅうにスケジュールを詰め込んで。
でもそれは、
目の前のことに一生懸命だったから。
だから、わるいことでもないし。
もちろん、
決して手を抜いていたわけじゃないんです。
あの頃の自分も、忙しくしている誰かのことも、
責めることなんてできません。
ただ、こうして静かに立ち止まり、
ふと振り返ったときに。
あれは本当に「良い仕事」だったのかな。
そんなふうに、思うんです。
たとえば、子育て。
親がどれだけ手や言葉を尽くしても。
最後は、その子が自ら育っていくのを、
じっくり見守ることしかできません。
料理だってそうです。
ていねいに下ごしらえをして、火にかけたら。
あとは味がじわっと染み込んでいくのを、
ただ静かに待つ時間があります。
以前、炭焼きをしている職人さんに聞きました。
「本当に質の高い炭は、
じっくりと長い時間をかけないと作れないんだよ」
って。
良い仕事というのは、
せかせかとは進まないのかもしれません。
じっくりと、ゆっくりと時間をかけて。
しかも最後には、
自分の手を離れて、
ただ待つことしかできない。
それは、
世の常のような気がしてきました。
なんでもすぐに結果を求めて、
せわしなく駆け抜けてしまいたくなるけれど。
ほんとうに大切なものには。
どろがゆっくりと沈んでいくのを待つような、
そんな静かな時間が必要なのかもしれません。
今日もしずかに。
田んぼのどろが沈むのを待っています。
これは、せわしなく生きてきた自分が、
“暮らしを取り戻そうとしている記録”です。
忙しさで感覚が鈍ってしまった人へ。
“味わう暮らし”を一緒に取り戻す仲間になっていただけたら嬉しいです。















ついつい隙間を埋めようとなってしまう日々です。
タイトルも良いし、内容もいい👍👍👍 タイトルが特に気になったから読んだよ✌️