積み上がらない仕事の中で、僕は整っていった
昔の僕は、
面倒なことが苦手でした。
汚れること。
手間がかかること。
時間がかかること。
なるべく避けたいと思っていたんです。
便利な方がいい。
効率的な方がいい。
機械に任せられるなら、その方がいい。
そう思っていました。
だから、田舎に来たばかりの頃は、
正直、しんどかったんです。
ここには、
どうしても人の手を使わなきゃいけない仕事が、まだたくさん残っていました。
山菜のアク抜き。
草刈り。
雨樋に詰まった落ち葉掃除。
畦塗り。
種もみを水につけること。
どれも、
機械だけでは完結しません。
しかも、
やらなくても生きていけることばかりです。
スーパーへ行けば、
食べ物は買える。
便利なサービスもいっぱいある。
なのに、
なぜわざわざ、こんな面倒なことをやるんだろう。
忙しいのに。
時間もないのに。
もっとスマートに生きたいのに。
そんなふうに思っていました。
しかも、田舎の仕事って、
フロー型のものが多いんです。
草を刈っても、
また伸びる。
田んぼを整えても、
来年になれば、また最初から。
掃除をしても、
また汚れる。
終わりがない。
積み上がっている感じがしない。
だから以前の僕は、
「これって、本当に意味あるのかな」
と思っていました。
現代って、
ストックされるものに価値があるじゃないですか。
スキル。
実績。
お金。
フォロワー。
積み上がるもの。
残るもの。
田舎の営みって、
そういうものとは少し違います。
やっても、
また振り出しに戻る。
だから、
ここに時間を使う意味がわからなくなることがありました。
でも最近、
不思議なことが起きています。
あれだけ嫌だった「手間」の時間が、
むしろ、自分を整えてくれている気がするんです。
草を刈る。
泥を触る。
火を起こす。
アクを抜く。
黙々と手を動かしていると、
頭の中で暴れていた不安が、少しずつ静かになっていく。
呼吸が深くなっていく。
「早くしなきゃ」
「もっと成果を出さなきゃ」
そんな緊張が、
ゆっくりほどけていくんです。
そして、気づきました。
僕は、
手間に振り回されていたんじゃなかった。
むしろ、
手間に救われていたんだって。
手間のある時間って、
結果を急げないんですよね。
山菜のアク抜きも、
稲の成長も、
待たなきゃいけない。
自然はこちらの都合に合わせてくれません。
だから、
無理に力を入れ続けても、どこかで崩れる。
でも逆に、
少し肩の力が抜けると、
不思議とうまく回り始める。
これって、
人生にも似ている気がします。
都会にいた頃の僕は、
「もっと頑張らなきゃ」
「もっと働かなきゃ」
「もっと成果を出さなきゃ」
そうやって、
ずっと力を入れて生きていました。
でも今は、
泥だらけになって、
汗をかいて、
思い通りにいかない自然の中にいると、
ようやく、
「まあ、こういうもんか」
と思える瞬間があります。
そのとき、
呼吸が戻ってくるんです。
そして最近、
もうひとつ気づいたことがあります。
確かに、
フロー型の仕事は、消えていきます。
草はまた伸びるし、
田んぼはまた来年やり直しです。
でも、
その時間の中で、
ちゃんと積もっていくものがある。
去年より、
少し焦らなくなった自分。
去年より、
自然の変化に気づける感覚。
地域の人との信頼。
一緒に作業した時間。
そして、
肩の力を抜いて生きる感覚。
仕事そのものは残らなくても、
人間の方が積み上がっていく。
そんなことが、
少しずつわかるようになってきました。
余白って、
減らした先にあるものだと思っていました。
でももしかしたら、
丁寧に手間をかける時間の中にこそ、
人が自然体に戻っていく余白があるのかもしれません。
これは、せわしなく生きてきた自分が、
“暮らしを取り戻そうとしている記録”です。
忙しさで感覚が鈍ってしまった人へ。
“味わう暮らし”を一緒に取り戻す仲間になっていただけたら嬉しいです。
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素晴らしい仕事ですねー。
ステキな投稿ですね。養蜂してます🐝
よろしくお願いしますー