頑張り続けていたら、自然体でいることを忘れていました
友人が、棚田を見に来てくれました。
彼女は以前、棚田保存会にも入っていた人です。
だから僕は、
ずっと胸の奥にあった問いを、そのまま投げてみました。
「なんで、棚田を守るんでしょうか?」
ここまで、丸4年間。
棚田に関わり続けて、今年で5年目になります。
そして今年は、
任せていただく面積が、かなり広くなりました。
毎日のように田んぼへ通って、
泥にまみれて、
畦を塗って、
水を見て、
草を刈る。
そんな日々を送りながら、
ずっと思っていたんです。
「自分は、なんでこんなに棚田をやっているんだろう?」って。
もちろん、理由は知っています。
僕はこれまで、環境改善の活動をしてきました。
だから、棚田が持つ意味も、たくさん学んできています。
水を蓄える機能。
たくさんの生き物たちが暮らせる生態系。
災害を和らげる役割。
美しい景観。
他にも、数えきれないほどの価値があります。
でも、
たぶん僕が知りたかったのは、
そういう「正しい理由」ではなかったんですよね。
もっと、自分の内側にある何かでした。
日々、淡々と作業をしていると、
不思議な瞬間があります。
無心になって、
時間の感覚が薄れて、
ただ目の前のことをやっている時間。
そこには、
「意味」がないんです。
でも、
意味がないのに、満たされている。
ただ、気持ちがいい。
ただ、心地いい。
ただ、しっくりくる。
人は、
そういう感覚を求めて生きているのかもしれません。
そして最近、
もうひとつ気づいたことがあります。
田んぼをやっていると、
自然体でいられるんです。
自然が豊かだから癒される。
それだけじゃない気がしています。
たぶん田んぼって、
自然体じゃないと続けられないんですよね。
無理に力を入れても、
自然は思い通りになりません。
急いでも、
稲は急に育たない。
雨は止められないし、
晴れも呼べない。
だから、
力み続けていると、どこかで苦しくなる。
でも逆に、
少し肩の力が抜けると、
不思議とうまく回り始める。
これって、
人生にも似ている気がします。
都会にいた頃の僕は、
「もっと頑張らなきゃ」
「もっと成果を出さなきゃ」
そんなふうに、
ずっと力を入れて生きていました。
でも田んぼでは、
泥にまみれて、
汗をかいて、
思い通りにいかなくて、
ようやく、
「まあ、こういうもんか」
と思える。
その瞬間に、
呼吸が戻ってくる感じがするんです。
だから、
棚田を守っているつもりだったけれど、
本当は僕の方が、
棚田に整えてもらっていたのかもしれません。
余白というのは、
休んだときに生まれるものだと思っていました。
でも最近は、
何かに夢中で取り組んでいる最中に、
ふっと「無」になる瞬間があって。
そのとき、
余白が立ち上がってくる気がするんです。
意味をつかもうとすると、
するりと消えてしまう。
でも確かにそこにある。
泥だらけになって、
黙々と畦を塗っている時間。
水の音だけが響く、棚田の夕方。
たぶん僕は、
ああいう時間に、救われているんだと思います。
これは、せわしなく生きてきた自分が、
“暮らしを取り戻そうとしている記録”です。
忙しさで感覚が鈍ってしまった人へ。
“味わう暮らし”を一緒に取り戻す仲間になっていただけたら嬉しいです。
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私も10年くらい、田んぼでお米づくりをしていました。
田んぼの移ろう景色、手に触れる感覚、大好きでした!
作業はきつかったけれど、今でもごはんが大好きで、作ってくださる方に感謝感覚です🙏