一緒に泥だらけになってくれる仲間はいる?
仕事の側から、そう問われている気がした日
すこし前、地域の文旦(ぶんたん)農家さんに、
聞いたことがあります。
「なんで、文旦を選んだんですか?」
って。
僕が住む地域は、文旦(ぶんたん)が有名です。
でも、誰もが気軽に手を出せる果物じゃない。
そう思って、ふしぎになったんです。
すると、農家さんはふんわりと笑いました。
そして、こう答えてくれたんです。
「文旦が、私を選んだんだよ」
僕はずっと
その言葉の意味を考えていました。
作物に、心があるのだろうか。
何かに呼んでもらったような、ふしぎなご縁なのかな。
それとも、もっと手ざわり感のあることなのか。
たとえば
作物にもそれぞれ「性格」があります。
手間がうんと必要な子もいる。
ほったらかしでも育ってくれる子もいる。
じっくり時間をかけるもの。
あっという間に育つもの。
その作物の性格と、育てる人の性格。
それが合うかどうかを、言っているのかな。
僕は今、棚田でお米を育てています。
どろの中にいると、ふしぎですね。
そのどれもが、あてはまるような気がしてくるんです。
お米づくりは、実際にやってみると、からだを使います。
しかも棚田となると、機械が入らない場所がたくさんある。
どうしても、人の手になります。
どろまみれの力仕事が、多くなるんです。
そうやって、どろだらけになっていると、
ふと思います。
やはり、お米の側が僕たちを選んでいるんじゃないか。
そんな気がしてならないんです。
「わたしのことを、マメにお世話してくれるかな」
「このどろまみれの時間を、楽しんでくれるかな」
そして、
「わたしをひとりで育てるのは、とても大変だよ」
「一緒にどろだらけになってくれる仲間はいる?」って。
お米は、すこし覚悟のいる作物です。
日々、土にふれている人でも、
「お米だけは手を出せない」という人がいます。
春に種をまいたら、秋の実りまで。
とちゅうで休むことが、できないからです。
でも、
そうやって「選ばれて」どろの中にいる時間。
それは、
ふしぎと心地よかったりします。
選んでいただいたありがたさが、
どろをとおして染み込んでくる。
ふと、思うんです。
これって、作物にかぎった話じゃないのかもしれないなって。
ぼくたちが日々むきあっている、いまの仕事も。
案外、そうなのかもしれません。
ぼくたちが必死に、仕事を選んでいるようでいて。
じつは、仕事の側が選んでくれている。
「この人なら、仲間と一緒にやってくれるかな」って。
「この土地を、大切にしてくれるかな」って。
そう思うと、
今日うまくいかなかった仕事も。
2度とやりたくないくらい大変な仕事も。
なんだか少しだけ、いとおしく思えてきます。
ご縁があって、仕事に選ばれたのかぁ。
そうやって出会えたものなら。
もう少しだけ肩の力を抜いて。
自然体でむきあっていけそうな気がするんです。
明日もまた、
どろだらけの棚田にむかいます。
今年も
お米がぼくを選んでくれたのかな。
もしそうだとしたら。
それはなんだか、
とてもあたたかくて、うれしいご縁だなと思うんです。














私たちは、生まれるところは選び、仕事には選ばれると 聞いたことがあります。
読んでいてい、「子育て」を連想していました