守っていたつもりの田んぼに、僕は守られていた
いつもなら、
4日ほどかかる田んぼの草刈りが、
今回は2日もかからず終わりました。
早く終わったんだから、
喜んでもよさそうなものです。
でも、
素直に喜べないのは・・・
草が、
あまり生えていなかったからです。
正確に言えば、
生えていても、
なんだか弱い。
夏の草って、
本来はものすごく元気なんですよね。
こちらが、
「この前、刈ったばかりじゃん」
と言いたくなるくらい、
どんどん伸びてきます。
でも今は、
その勢いがないんです。
このあたりでは、
梅雨が明けてから、
まとまった雨が降っていません。
もう20日ほどになるでしょうか。
暑さも、
もちろん大変です。
でも、
田んぼや畑に立っている僕にとっては、
暑さ以上に、
雨が降らないことの方がこたえます。
草刈りが早く終わったのは、
僕の腕が上がったからではありませんでした。
少しくらいは、
上がっていてほしいんですけどね。
草刈りのあと
棚田のある集落の集会所へ行きました。
そこでは、
おじいちゃんやおばあちゃんたちが、
山から切り出してきたシキミを束ねていました。
シキミは、
仏様にお供えする木。
長さをそろえて、
何本かずつ束にして、
ひもでくくる。
そして、
市場へ出します。
僕も一昨年くらいまでは、
この作業をよく手伝わせてもらっていました。
田んぼから戻ったばかりの、
汗の残る腕でシキビをそろえながら、
久しぶりにみんなの会話に混ざりました。
そのとき、
集落の女性が言いました。
「食べることが一番大事やけど、自分で農家をするのは、なかなかできん。こんなに暑いなかで、泥と汗にまみれて作りゆう農家さんは、本当にえらい」
ありがたい言葉でした。
すると、
そばにいた区長のおじいちゃんが、
こんなことを言ったんです。
「いや、自分らがやりゆうことなんて、ほんのちっぽけなことよ」
そのおじいちゃんは、
もうすぐ70歳になります。
今も自分で、
芋や野菜や米を育てています。
山へ入って、
シキビやサカキも切り出します。
僕からすれば、
ものすごいことをしている人です。
その人が、
自分のやっていることを、
「ちっぽけなこと」
と言うんです。
どういうことだろうと思っていると、
おじいちゃんは棚田の方を指しました。
「あそこの石垣、立派やろう。あれを昔の人は積んだんよ」
山を切り開いて、
ふもとから石を運び上げる。
石というより、
もう岩と呼びたくなるようなものまで、
人の手で積み上げていく。
でも、
石垣を積んだだけでは、
田んぼにはなりません。
水が抜けてしまわないように、
どこからか粘土質の土を運んで、
敷き詰める。
そうしてようやく、
山の斜面に、
水をためられる一枚の田んぼができる。
もちろん、
重機なんてない時代の話です。
今、
僕たちは、
すでにそこにある田んぼで米を育てています。
自分が一から育てているような気になっていたけれど、
その「一」のずっと前に、
数えきれないほどの仕事があったんです。
おじいちゃんは、
言いました。
「ここまで土地が重ねてきた営みからしたら、自分らができることなんて、ほんの少しよ」
そんな人にそう言われたら、
もう、
ぐうの音も出ません。
東京にいた頃の僕は、
自分で食べ物を作ることなんて、
ほとんどできませんでした。
高知へ移り住んで、
田んぼや畑に立つようになって、
僕も少しは、
暮らす力がついたんじゃないか。
そんなことを、
心のどこかで思っていました。
でも、
僕が始めたことなんて、
何ひとつなかったんですよね。
田んぼも。
水路も。
石垣も。
僕がここへ来る、
ずっと前からありました。
そして、
たくさんの人の手によって、
僕のところまで渡されてきたんです。
田んぼや畑には、
今も、
手をかけられることがたくさんあります。
雨が降らなければ、
山の沢から水をくんで、
野菜にかける。
水源から、
田んぼへ水を引く。
草を刈る。
畦を直す。
水の入り口を見に行く。
これだけ便利になった世の中なのに、
ボタンひとつでは終わらないことばかりです。
面倒といえば、
ものすごく面倒です。
でも最近の僕は、
「こんなにも、手をかけられることがあるって、幸せなことだな」
と思うようになりました。
なかなかの、
ド変態かもしれません。
でも、
本当にそう思うんです。
その日、
僕は田んぼへ行く前、
子どもの進路のことで少し考え込んでいました。
どうしたらいいだろう。
どこまで声をかけたらいいだろう。
どうすれば、
この子が自分の道を歩いていけるだろう。
座って考えていると、
思考だけが、
どんどん先へ走っていきます。
でも、
草刈り機を動かして、
目の前の草を一筋ずつ刈っているうちに、
頭の中のざわつきが、
少しずつ静かになっていきました。
答えが出たわけではありません。
悩みが、
きれいに消えたわけでもありません。
ただ、
自分の速度が戻ってきたんです。
刈った草の匂い。
額を流れる汗。
少しずつ、
姿を現していく畦。
目の前の一列を終えたら、
また次の一列へ進む。
それを繰り返しているうちに、
早足になっていた心が、
自分の体の歩幅に戻ってきました。
僕はこれまで、
この棚田を、
「受け継いで、守っていくもの」
だと思っていました。
昔の人がつくった石垣を、
崩さないように。
耕作されなくなった田んぼを、
これ以上増やさないように。
この風景を、
次へ渡せるように。
だから、
自分が棚田を守っているつもりでいました。
でも、
今日、
草を刈りながら気づいたんです。
守られていたのは、
僕の方でした。
考えすぎて、
速くなった心を、
手を動かせる速さまで連れ戻してくれる。
自分ひとりで、
何かを成し遂げているような気持ちを、
石垣の前で静かにほどいてくれる。
急がなくても、
目の前の一列ずつ進めばいいと、
体に思い出させてくれる。
僕が田んぼに手を入れている間、
田んぼもまた、
僕に手を入れていたんです。
守っていたつもりの場所に、
守られていた。
受け継いでいるつもりの僕が、
ずっと前から続く営みの中へ、
少しずつ導かれていた。
そう思うと、
今日刈った田んぼの畦が、
少し違って見えました。
あなたには、
守っているつもりで、
実は自分の方が守られているものがありますか。














もおちゃんさん、はじめまして!
心に残ります…!
守ってると思っていた場所に、自分が守られていたって気づく瞬間ってありますよね。
手を動かす時間って、心を整えてくれるのかもしれないなって思いました^^!
シキミって初めて知りました。
榊(サカキ)とはちょっと違うんですね〜☘️
農業ってテクノロジーの発展によって、少しずつ人間がコントロールできるようになってきたんでしょうね。
それでも、やっぱり天候とか難しい。そういうところが、難しさでもあり、面白さでもありますね✨