キュウリは、だいたい群れで来る
食材もまた旅人なり
「おれが料理してやるぜ、えっへん」
そんなふうになっていたことがありました。
台所に立つのが夢だったぼくは、
自分で自由にできる厨房に立つ時間に、
どこか優越感を覚えていたんです。
それは、
食べてくれる人に対してというよりも、
食材に対してでした。
物言わぬナスさんを、
包丁でどんどん切っていく。
きざんでいく。
うへへ
🔪🍆
ああ、なんかこわいね。
こわいけど、なんかさ、
「おいしくしてやるぜー」
って、なりません?
ちょっと傲慢な自分が顔を、のぞかせる。
食材あっての料理なのに、いつのまにか食材よりも優位な立場に立ってしまっている。
いかんいかん。
本当は、ぼくが食材をどうにかしているのではなくて、食材がここまで来てくれているのかもしれない。
そんなことを、最近よく考えます。
月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。
松尾芭蕉の『おくのほそ道』は、
こんな言葉から始まります。
ちょう超ちょう簡単に言うと、
時間も、年も、
ずっと旅をしている旅人みたいなものだよ。
という意味です。
かっこいい。
あまりにも、かっこいい。
いきなり文章のふところが深すぎます。
こちらとしては、もう一句目で正座です。
でも、最近ぼくはこの言葉を読んで、ふと思いました。
月日が旅人なら。
人も旅人なら。
もしかして。
野菜も旅人なのではないか。
いよいよ芭蕉に怒られそうです。
「おい、そこで大根を出すな」と。
でも、出します。
大根を。
だいこんや
ああ、だいこんや
だいこんや
急に俳句の質が落ちました。
落差で耳がキーンとなります。
でも、出します。
大根を。
ぼくたちの食卓に並ぶ食材は、
突然現れたわけではありません。
畑で芽を出し。
雨を浴び。
太陽に照らされ。
虫にかじられ。
風に揺られ。
誰かに収穫され。
箱に詰められ。
軽トラに乗せられ。
道の駅に並び。スーパーに並び。
あるいは、ご近所さんの手から手へ渡り。
そして、ようやく台所へやってきます。
もうこれは旅です。
完全に旅です。
食材界の『おくのほそ道』です。
ナスが言うわけです。
「ちょっと町まで行ってくるわ」
キュウリも言うわけです。
「おれ、今日、浅漬けになる気がする」
いや、言わないんですけど。
でも、そう思ってしまうくらい、食材には道のりがあります。
スーパーの棚に並んでいると、つい忘れてしまいます。
でも本当は、そのひとつひとつに、ここへ来るまでの時間があります。
土があります。
水があります。
人の手があります。
そして、タイミングがあります。
今日ここに来たということは、
今日ここに来るだけの道のりがあったということです。
山に住んでいると、食材は計画通りにはやってきません。
季節は、献立表を持ってきません
「来週は夏野菜フェアです」
とか言ってくれません。
急に来ます。
ドン、と来ます。
キュウリが。
ナスが。
ピーマンが。
「今年も来ましたけど?」
みたいな顔で来ます。
そして、こちらが少し油断すると、玄関先に袋いっぱいの野菜が置かれている。
田舎あるあるです。
差出人不明のキュウリ。
サンタより静かに来る。
しかも夏に来る。
玄関を開けたら、そこにキュウリ。
誰が置いたのか分からない。
でも、だいたいありがたい。
いや、めちゃくちゃありがたい。
ただし、ちょっと多い。
多いんです。
キュウリというものは、なぜあんなに団体行動が好きなのでしょうか。
一本で来ることは、ほとんどありません。
だいたい群れで来ます。
しかも、こちらの冷蔵庫事情など一切考えずに来ます。
でも、それも含めて季節なのだと思います。
「今だよ」
と、食材の方からやってくる。
こちらが選ぶ前に、向こうが先に到着している。
そういう出会い方があります。
飲食店では、たいていメニューがあります。
カレー。
パスタ。
唐揚げ定食。
本日のランチ。
お客さんは、その中から食べたいものを選びます。
今日はカレーの口。
今日はパスタの気分。
そういう日もあります。
ありますとも。
ぼくだってあります。
カレーの口になった人間は、なかなか引き返せません。
もう口の中に、カレーの旗が立っています。
でも、自然の近くで暮らしていると、少し違う食べ方が始まります。
「今日は何を食べたいですか?」
というより、
「今日は何が来てくれましたかね」
という食べ方です。
シェフの気まぐれ。
と言えば聞こえはいいのですが。
正確には、シェフの気まぐれではありません。
自然の気まぐれです。
今日はナスが来た。
今日はピーマンが元氣だ。
今日はお米が主役の顔をしている。
今日はこの葉っぱ、
なぜかすごくいい顔をしている。
顔?
野菜に顔?
あります。
ありますとも。
農家さんや台所に立つ人なら、たぶん分かると思います。
「今日のこの子、いいな」
という瞬間があります。
もうその時点で、こちらは料理人というより、宿の主人です。
「ようこそ、長旅でしたね」
と食材を迎える。
「では、今日はあなたをどう休ませましょうか」
と考える。
そんな食べ方が、ぼくは好きです。
野菜は、だいたい黙っている
野菜は、基本的にしゃべりません。
当たり前です。
急にニンジンが、
「今日は千切りで頼む」
とか言ってきたら、ちょっと怖い。
怖いけど、少し助かる。
でも実際には、野菜は黙っています。
だから、こちらが聞くしかありません。
硬いのか。
やわらかいのか。
香りが強いのか。
水分が多いのか。
少し疲れているのか。
今が一番いい時なのか。
まだ少し待った方がいいのか。
野菜は黙っているけれど、何も言っていないわけではありません。
手に持つと分かることがあります。
切ると分かることがあります。
火を入れると急に表情が変わることがあります。
「あ、あなた、煮るより焼く方だったんですね」
みたいなことがある。
こちらが勝手に決めつけると、
うまく答えてくれないことがある。
野菜にも事情があります。
旅人ですから。
旅の疲れもあるでしょう。
途中で雨に降られたかもしれない。
暑すぎた日もあったかもしれない。
虫にかじられて、
「まあ、いろいろありましてね」
という顔をしていることもある。
だから、その食材がここまで旅をしてきたことを、まずはちゃんと受け取りたいのです。
高知に来てから、
ぼくは山に入り田んぼに入り、畑に触れるようになりました。
雨の量を気にするようになりました。
水の流れを見るようになりました。
土の乾き具合を気にするようになりました。
野菜が育つまでの時間を、前よりずっと近くで感じるようになりました。
そうすると、台所に届いた食材の見え方が少し変わります。
ただの材料ではなくなる。
今日の料理に使う「もの」ではなくなる。
ここまで来た「誰か」のように見えてくる。
土の時間をまとっている。
雨の記憶をまとっている。
人の手をまとっている。
その季節の空気をまとっている。
だから、食材を前にすると、少し背筋が伸びるようになりました。
もちろん、毎回そんなに神妙にしているわけではありません。
現実には、
「このナス、どうしよう」
「キュウリ、まだある」
「またキュウリ」
「キュウリ、強い」
みたいな日もあります。
でも、それでも思うのです。
この子たちは、ここまで旅をしてきたのだと。
そして、今日たまたま、ぼくの台所にいるのだと。
野菜には力があります。
土の力。
水の力。
光の力。
季節の力。
育てた人の手の力。
そして、ここまで旅をしてきた時間の力。
その力を、できるだけ損なわずに受け取りたい。
すごい料理をしたいというより、
「あなた、ここまで来てくれたんですね」
と食材に言えるような食べ方をしたい。
まあ、実際にナスに話しかけていたら、
少し心配されるかもしれません。
でも、心の中では話しかけています。
ナスにも。
ピーマンにも。
米にも。
米なんて、ぼくからしたらもう大先輩です。
田んぼであれだけ手がかかるのを知ってしまったので、お茶碗によそった時点で、ちょっと敬語になります。
「本日も、よろしくお願いいたします」
です。
一粒残すのが申し訳ない。
いや、もちろん昔から「米粒を残してはいけません」と言われて育ってきました。
でも、自分で田んぼに入るようになると、その言葉の重みが変わります。
お米は、ただ炊飯器から出てきた白い粒ではありません。
苗だったころがある。
水に揺れていたころがある。
暑い日もあった。
草に囲まれた日もあった。
刈られ、干され、脱穀され、精米され、ようやく茶碗に来た。
長旅です。
ものすごい長旅です。
そう思うと、食卓は少し静かになります。
少なくとも、ぼくの中では。
台所は、旅の終着点ではない
食材にとって、台所は旅の終着点のように見えます。
でも、本当は終着点ではありません。
そこからまた、ぼくたちの身体へ入っていきます。
血になり。
熱になり。
動く力になり。
考える力になり。
誰かに会いに行く力になり。
田んぼへ行く力になり。
文章を書く力になり。
また別の場所へ運ばれていく。
食材の旅は、食べられて終わるのではなく、身体の中で続いていくのかもしれません。
そう考えると、食べるということは、なかなかすごいことです。
旅人を迎えて、自分の中にその旅を少し引き継ぐ。
大げさでしょうか。
でも、キュウリ一本にも、米一粒にも、ここまで来るまでの時間がある。
それをいただいて、今日の自分が動いている。
そう思うと、やっぱり食卓はただの食卓ではない気がします。
月日は百代の過客にして。
行きかふ年も又旅人也。
そして、たぶん。
食材もまた旅人なり。
あなたの台所に最近やってきた旅人は、どんな食材でしたか。
よかったら、コメントで教えてください。
これは、せわしなく生きてきた自分が、
“暮らしを取り戻そうとしている記録”です。
“味わう暮らし”を一緒に取り戻す仲間になっていただけたら嬉しいです。












もおちゃんに出会って、たくさんお話を聞かせていただくようになってから「いただきます」が変わりました✨
いつもありがとうございます😊
美味そうすぎるナス🍆🍆🍆
そして、最近私はバーニャカウダーソースできゅうりを1本まるごとかじりついて食べる夕飯にハマってます🤣
もぉさんの野菜食べたいー🥒🥦🍆🥔