「俺の弟子にならないか」と言われる町で
受け切れない仕事が、自分の真ん中を教えてくれる
嘘みたいに聞こえるかもですが、ほんとの話。
「お前、俺の弟子にならないか」
田舎で暮らしていると、ときどきこんなことを言われます。
都会にいた頃には、ほとんど聞いたことのない誘い方です。
求人サイトを開いたわけでもない。
履歴書を送ったわけでもない。
山で一緒に作業をしたり、地域の行事で顔を合わせたりしているうちに、
「お前、これやらないか」
と、突然お仕事の話がやってきます。
田舎では、本当に人が足りません。
ぼくが暮らしている町も、この五年間で1000人ほど人口が減りました。
もともと5500人ほどだった町が、今では4500人ほどになっています。
5人に1人近くが、いなくなったことになります。
数字にすると、なかなかの迫力です。
町を歩いていても、
急に1000人分の空白が見えるわけではありません。
昨日まで開いていた店が閉じる。
草刈りをしていた人が、できなくなる。
地域の役を担う人が減る。
水路を見る人がいなくなる。
少しずつ、
暮らしを支えていた手が抜けていきます。
あと10年。
20年。
この町の暮らしは、どうなっているんだろう。
そんなことを思う日があります。
その中では、今年39歳になるぼくも、
まだ「若い人」に入ります。
アラフォーです。
東京にいた頃なら、
若手と呼ばれるには
少し無理が出てくる頃かもしれません。
でも、この町では違います。
周りには、
70代、80代、90代の方がたくさんいます。
その中に入ると、39歳はまだまだ期待の若手です。(←自分で言うなし)
たぶん、伸びしろしかありません。(←だから自分で言うなって)
だから、
いろいろな仕事に声をかけていただきます。
この前は、
「森林組合で働かないか」
という話をいただきました。
ぼくは森のガイドをしています。
自然再生士として、
土地のお世話にも関わっています。
今は樹木医を目指して、
木のことも学んでいます。
森林組合の仕事は、ぼくの関心とかなり近い。
聞いた瞬間、
おもしろそうだな。
やってみたいな。
という気持ちが動きます。
ほかにも、
「この町議会議員にならないか」
と言っていただいたこともあります。
政治の場へ出ないか。
町のことを考える立場にならないか。
そんなふうに見ていただけることは、
ありがたいです。
ここへ移住してきたぼくを、
この町のこれからを一緒につくる人として
見てくださっている。
そのことは、素直にうれしい。
でも。
興味があることと、その仕事を受けられることは、同じではありません。
森林組合でフルタイムで働いたら、
ぼくの一日はどう変わるだろう。
議員になったら、
夜の会議や地域の行事はどれくらい増えるだろう。
責任を持てば、簡単に休むことはできなくなる。
休日にも、
頭のどこかで仕事を考えるようになるかもしれない。
そのとき。
家族との暮らしは、どうなるんだろう。
田んぼへ行く時間は残るだろうか。
家族のご飯を作れるだろうか。
子どもたちが何か話したそうなときに、
そこにいられるだろうか。
ぼくには、
役に立ちたいという気持ちがあります。
この町に住まわせてもらっているのだから、
何かを返したい。
困っている人がいるなら、
自分にできることをしたい。
それは、
誰かによく見られたいからだけではありません。
人の役に立つこと自体が、
ぼくの原動力なのだと思います。
以前、小学校の先生をしていた頃もそうでした。
子どもたちのために。
保護者のために。
学校のために。
そう思うと、いくらでも動けました。
仕事が嫌いだったわけではありません。
むしろ、好きだった。
「人のことばかり考えず、自分を大切にしなよ」
と言われることがあります。
たしかに、そうなのかもしれません。
でも、ぼくの場合は、
自分のことだけを考えたいわけではないんです。
誰かの役に立ちたい。
その気持ちは、消したくない。
ただ、誰の役に立ちたいのか。
どんな形で役に立ちたいのか。
そこは、
自分で選びたいと思うようになりました。
今のぼくは、家族の役に立ちたいと思っています。
別に、毎回感謝されなくてもいい。
褒めてもらわなくてもいい。
家族を大切にしている自分でいたい。
自分の生き方として、
家族をないがしろにしない。
それだけは、決めています。
だから、受けきれない仕事があります。
町のためになる仕事。
誰かが担わなくてはいけない仕事。
自分の興味にも近い仕事。
それでも、
今の暮らしを大きく崩してしまうなら、
手を挙げられないことがあります。
それは、
町を大切にしていないからではありません。
働きたくないからでもありません。
今のぼくが、人生の真ん中に置きたいものが、ほかにあるからです。
不思議なことに。
何をしたいのかを考えているときより、
「この仕事をやらないか」
と差し出されたときの方が、
自分の大切なものがよく見えます。
その仕事を引き受けた自分を想像する。
朝、何時に家を出るのか。
夜、何時に帰るのか。
どんな顔で食卓に座るのか。
家族が話しているとき、
頭の中に仕事が残っていないか。
そんなことを考えていると、
ああ。
ぼくは、この時間を手放したくないんだな。
と気づきます。
仕事のお誘いは、未来への扉です。
開けば、新しい景色がある。
きっと出会える人も、できることも増えていく。
でも、扉を開くたびに、
今いる場所から少し離れることにもなります。
全部の扉を開くことはできません。
若いから。
期待されているから。
必要とされているから。
それだけで、すべてを引き受けなくてもいい。
町のためにできることは、
ひとつの肩書きだけではないはずです。
森を案内すること。
土地に風を通すこと。
田んぼを残すこと。
文章を書くこと。
家族と一緒に暮らすこと。
それも、
この町で生きる一つの形なのだと思います。
「お前、俺の弟子にならないか」
そう声をかけてもらえるのは、やっぱりうれしいです。
いつか、その道へ進むこともあるのかもしれません。
でも今は、すべての誘いに応えなくてもいい。
受けきれない仕事があることは、少し申し訳なく感じます。
同時に、その申し訳なさの奥から、自分が守りたい暮らしが見えてきます。
仕事を選ぶというのは、何をするかを決めることだと思っていました。
でも本当は。
何を人生の真ん中に置くのかを、決めることなのかもしれません。
あなたの人生の真ん中には、何がありますか?
これは、せわしなく生きてきた自分が、
“暮らしを取り戻そうとしている記録”です。
“味わう暮らし”を一緒に取り戻す仲間になっていただけたら嬉しいです。
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Votre texte résume un dilemme qui traverse l'homme d'Europe depuis des siècles : être un chevalier à la conquête du monde pour de nobles causes, ou être un paysan responsable qui s'occupe de son lopin de terre et de sa famille. Jeune, je rêvais de la première solution. J'ai depuis décidé de vivre pleinement la seconde.
Vous l'écrivez fort bien : guider en forêt, préserver les rizières, écrire, ou simplement vivre avec les siens sont autant de façons de servir. Oui, c'est avec ces petites choses invisibles qu'on sert vraiment sa communauté. C'est une sagesse ancestrale.