父が天へと旅立ったのは、今年の2月でした。
集落のおじいちゃん、おばあちゃんの歳からしたら、まだまだ若くって。
これからいっぱい、やりたいことがあったろうになあって思うんです。
父は、病を持っていました。
8年くらいでしょうか。
ずっと闘病生活を続けていました。
今から2年くらい前だったかな。
父が、実家の家族と一緒に高知へ遊びに来てくれたことがありました。
体調が完璧ではない中での旅行でした。
ぼくは離れて暮らしていたので、そのころはまだ、父の病気がそんなに大変なものだとは知りませんでした。
ぼくと父は、決して良好な関係とは言えませんでした。
長男だったぼくは、ほんっとに厳しく育てられました。
父に褒められた記憶が、ほとんどありません。
テストで98点を取れば、
「なんで100点じゃないんだ」
と言われました。
学年で3位になったときは、
「なんで1位じゃないんだ」
と言われました。
水泳もずっとやってきましたが、
「なんでトップじゃないんだ」
と言われました。
だからぼくは、子どものころから父のことが苦手でした。
できる限り、避けてきたような気がします。
そんな父が、高知に遊びに来てくれたんです。
体調もあまりよくなさそうだったので、移動は全部ぼくの運転でした。
父はもともと、写真なんて滅多に撮らない人でした。
そんな父が、一枚だけ。
何も言わずにスマホを取り出して、シャッターを切った風景がありました。
それが、
ぼくがやっていた田んぼでした。
自分でいただくお米を、自分でつくる。
ぼくは、この営みをちょっと誇りに思っています。
人が健やかに生きていくために、とても大切なことのひとつだと思うからです。
それを誰かに全部任せるんじゃなくて、自分でもやってみようと思った。
……まあ、実際にはこれまで4年間やって、
1勝3敗なんですけどね。
ほぼ、いのししにやられました。
台風も来る。
草は伸びる。
暑い。
泥だらけになる。
頑張ったからといって、ちゃんとお米ができるとも限りません。
それでも、
なんだか、とっても大事なことをしている気がして。
ぼくは、この仕事を手放しませんでした。
一緒に始めた仲間がどんどん田んぼをやめていく中で、ぼくは師匠に教わりながら、少しずつ田んぼの仕事を覚えていきました。
それから時が経って。
父が他界する前の、最後の秋。
ぼくは初めて、自分で育てたお米をちゃんと収穫することができました。
ずっと、いのししにやられて。
台風にやられて。
なかなかうまくいかなかったのに。
最後の最後に、
自然は恵みをくれました。
ぼくは、そのお米を実家に送りました。
父は病気のために、食べられなくなってしまったものがたくさんありました。
食べること自体が、どんどん難しくなっていました。
でも、
お米だけは食べられたんです。
あのとき父が写真におさめた、
あの風景の詰まったお米。
それを、父に食べてもらうことができました。
ぼくができた、
数少ない親孝行だったなあと思います。
そして今年。
ぼくは、あの風景のすぐそばで、
あのころの5倍くらい広い田んぼを、任せていただくことになりました。
田んぼの仕事は、毎回汗だくです。
泥まみれです。
お米って、あんなに真っ白なのに。
つくっているぼくは、それとは正反対みたいに、毎回ぐちゃぐちゃです。
たぶんこの仕事、
「できることなら、やりたくないなあ」
という人も、今の時代には多いと思います。
でも、
ぼくはこの仕事が好きです。
父も、元気だったら、
こういう仕事をやってみたかったんじゃないかなあ。
そんなことを、ときどき思います。
そういえば父は、農場のドキュメンタリーなんかを、よく観ていました。
だから、あのときも。
何か思うことがあったのかな。
ぼくには何も言わず、
ただ、田んぼにスマホを向けて、
パシャリと一枚。
父が何を思っていたのかは、もう聞くことができません。
「いい田んぼだな」
と思ったのかもしれない。
「お前、こんなことやってるんだな」
だったのかもしれない。
あるいは、まったく違うことを考えていたのかもしれません。
でも、いいんです。
98点を取っても褒めてくれなかった父が。
学年で3位でも、水泳を頑張っても、
「すごいな」
とは言ってくれなかった父が。
ぼくが汗だくになって、泥だらけになってつくっていた田んぼを、
黙って、一枚だけ写真に撮った。
それだけで。
ぼくはあのとき、
初めて父と通じ合えたような気がしたんです。
今年も、田んぼに立っています。
父が写真に残した、あの風景のすぐそばで。
汗だくで。
泥まみれで。
今年も、お米をつくっています。
これは、せわしなく生きてきた自分が、
“暮らしを取り戻そうとしている記録”です。
“味わう暮らし”を一緒に取り戻す仲間になっていただけたら嬉しいです。








