50回しか試せない
農作業というのは、失敗の連続です。
少なくとも、ぼくにとってはそうです。
水の量を間違える。
草の勢いを読み違える。
苗の様子を見誤る。
昨日なんて、台風でね、
水路にあったホースが流されて、
折れちゃって。
あとになって、
「ああすればよかった」
と思うことばかりです。
農業は、経験がものを言う世界だと言われます。
たしかに、その通りだと思います。
経験が増えるほど、
季節の変化が見えるようになる。
土の状態が分かるようになる。
植物の小さなサインに気づけるようになる。
だから、経験の浅いぼくは失敗する。
でも最近は、
失敗すること自体が悪いことだとは思わなくなりました。
失敗すると、
何も積み上がらないように見えて、
自分の中には確かに積み上がるものがあります。
「ああ、このやり方だとこうなるのか」
ということが分かる。
ひとつ経験値が増える。
でも、決してうまくいくやり方がわかったわけではなくて。
うまくいかない方法がわかっただけ。
ゲームみたいに、
レベルが上がる音楽が鳴れば
気休めになるのになぁ。
失敗するたびに、
あーぁって思うんだけど。
何か少しずつ自分の中に何かが積み上がっていってるって信じるしかない。
農業には、
ひとつ大きな特徴があります。
答え合わせが、
来年までできないんです。
今年失敗した。
じゃあ来週もう一回やってみよう。
とはならない。
稲は一年に一度しか育ちません。
今年試したことは、
来年にならないと結果が分からない。
もし50年間、
農業に携わったとしても。
試せる回数は、
たった50回です。
そう考えると、
農家さんたちが積み重ねてきた経験というものが、
とてつもなく重たいものに思えてきます。
一回の失敗。
一回の成功。
そのひとつひとつが、
一年という時間の上に積み重なっている。
ぼくたちはつい、
効率よく学ぼうとします。
最短距離で上達しようとします。
でも農業は、
そういう世界ではありません。
待つしかない。
季節が巡るのを。
稲が育つのを。
結果が出るのを。
じっと待つしかない。
しかも。
待ったからといっうまくいく保証はありません。
天気に左右されます。
雨の量ひとつで変わります。
暑さでも変わる。
寒さでも変わる。
動物たちだってやってきます。
人間が完璧だと思った計画を、
自然はいとも簡単にひっくり返します。
だから農業は、
どこかギャンブルに似ています。
これをやれば必ず成功する。
そんな保証はどこにもありません。
それでも。
みんな種をまきます。
田んぼを耕します。
苗を植えます。
また一年を始めます。
不思議だなと思うんです。
どうして、やめないんだろう。
ぼくだって、
しんどいと思う日はあります。
草は伸びるし、
体は痛いし、
お金になるとも限らない。
合理的に考えたら、
もっと効率のいい生き方はいくらでもあるはずです。
それなのに。
なぜかやめようとは思わない。
やめてはいけないような気もするし、
続けた先に何かがあるような気もする。
でも。
本当はそんな立派な理由じゃないのかもしれません。
朝、外へ出る。
土を触る。
空を見上げる。
風を感じる。
水の音を聞く。
暗くなるまで身体を動かす。
ただ、それが好きなんです。
好きという言葉では足りないくらい、
愛おしいんです。
田んぼの中にいると、
時間の流れが変わります。
効率や成果だけでは測れないものが、
そこにはあります。
今日やったことが、
すぐに結果になるわけじゃない。
もしかしたら失敗かもしれない。
答えが分かるのは一年後です。
それでも土に触れる。
それでも種をまく。
それでも育てる。
そんな生き方が、
ぼくは好きなんだと思います。
お金になるかどうか。
うまくいくかどうか。
もちろん大切です。
でも、その前に。
朝から暗くなるまで外にいて、
土を触りながら働く。
そんな一日そのものが、
ぼくにとっては十分に価値のある時間なんです。
だから今日もまた、
失敗するかもしれない何かを試してみようと思います。
その答え合わせができるのは、
一年後。
長いようで、あっという間かもしれないし、
あっという間のようで、とても長く感じるかもしれません。
その間ずっと、
「あれでよかったのだろうか」
と心のどこかで考え続ける。
そして来年、
田んぼがひとつの答えを返してくれる。
人生で試せる回数は、たった50回ほど。
だから一回一回が重たい。
それでもまた種をまいて、
また一年待つ。
その繰り返しの中でしか得られないものが、
きっとあるんだと思います。
これは、せわしなく生きてきた自分が、
“暮らしを取り戻そうとしている記録”です。
忙しさで感覚が鈍ってしまった人へ。
“味わう暮らし”を一緒に取り戻す仲間になっていただけたら嬉しいです。

















