妻が晴れを喜ぶ隣で、ぼくは雨を待っていた
同じ空の下で、それぞれの天気を生きている
小学生の日記みたいな書き出しからはじめるけれど。
朝から空が明るくて、
久しぶりに太陽の光が差していました。
天気で体調が大きく変わる妻は、
「今日はすごく体が軽い」
と言って、嬉しそうでした。
それを見て、よかったなと思いました。
晴れてくれてよかった。
太陽が出てくれてよかった。
本当にそう思いました。
でも、その一方で。
ぼく自身は、少し気だるさを感じていました。
最近、
雨の方が落ち着くなと思うことがあります。
雨の日は、世界が少し静かになります。
空は低くなって、音はやわらかくなる。
外の光も少し弱くなる。
雨が降っていると、
今日はそんなに急がなくてもいいか。
そんな気持ちになることがあります。
同じ空の下にいるのに、
こんなにも違う天気を感じているんですね。
草も、土も、田んぼも。
雨を受け止めながら、そこにいる。
ぼくもその中で、少し呼吸が深くなる。
そんな感覚があります。
もちろん、雨が続くと困ることもあります。
洗濯物が乾かないのはいちばん困る。
田んぼの作業も思うように進まない。
雨が多すぎれば災害にもなる。
ただ、最近のぼくにとって、雨は少し安心できる天気でもあるのです。
妻にとっての晴れは、体が軽くなる日。
ぼくにとっての雨は、心が少し落ち着く日。
同じ家にいて、同じ空を見ていても。
天気の届き方は、こんなにも違うんだなと思いました。
「いい天気だね」
たぶん多くの場合、
この言葉は晴れの日に使われます。
でも、いい天気って本当は人によって違うのかもしれません。
晴れた空を見て、元気になる人がいる。
同じ空を見て、少し疲れる人もいる。
雨の音を聞いて、憂うつになる人がいる。
同じ雨の音を聞いて、ほっとする人もいる。
誰かにとっての晴れは、ぼくにとっての雨。
そういうことが、
この世界にはたくさんあるのかもしれません。
静けさや薄暗さや、
少し立ち止まる時間に救われる人もいる。
人によって、
そのときにいいなと思う天気が違う。
今日、妻が晴れを喜んでいるのを見て、
ぼくも嬉しくなりました。
そして同時に、雨を待っている自分にも気づきました。
妻が晴れて嬉しい。
その妻を見て、ぼくも嬉しい。
でも、いまのぼくは雨の方が落ち着く。
その三つは、別に矛盾しないのだと思います。
相手の晴れを喜びながら、自分の雨も大事にしていいのかなって。
同じ気持ちになることだけが、
寄り添うことではないのかもしれません。
同じ家にいても。
同じ空の下にいても。
ぼくたちは、まったく同じ天気を生きているわけではない。
妻には妻の晴れがあり、
ぼくにはぼくの雨がある。
それでも、同じ窓から空を見ている。
それでも、同じ食卓につく。
それでも、
「今日は体が軽くてよかったね」
と言える。
そのくらいの距離感で一緒にいられることが、
なんだか少し愛おしく思えました。
晴れを喜ぶ人の隣で、雨を待っていてもいい。
雨を待つぼくの隣で、晴れを喜んでいてもいい。
同じ空の下で、
違う天気を感じながら暮らしている。
そんなことを思った、梅雨の中休みでした。
これは、せわしなく生きてきた自分が、
“暮らしを取り戻そうとしている記録”です。
“味わう暮らし”を一緒に取り戻す仲間になっていただけたら嬉しいです。
次の記事も気になるなぁって思ってくださった方、
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また、お会いしましょう。、













L'aubergiste et le paysan ne regardent pas le ciel de la même façon. Pourtant, ils ont les pieds sur la même terre. Merci pour ce superbe récit de couple.