ギャルは厚底、ぼくは薄底
登山靴をすすめるぼくが、足袋ぐつを履く理由
「その靴、なんですか?」
山を歩いていると、よく聞かれます。
そのたびに、
「ぼくも、何と説明したらいいのか迷う靴です」
と答えたくなります。
質問には答えたつもりなのに、
何ひとつ答えられていない。
就職面接なら、バツ。
いや、
滅
ですね。
スニーカーとも言いにくい。
ブーツではない。
地下足袋に近いけれど、
工事現場で見かけるものとも少し違う。
なんとも説明しにくい形をしています。
なので、結局は、
「足袋ぐつです」
と答えます。
これも、答えになっているようで、
あまり答えにはなっていません。
お客さんは、
なんでこの靴なのか
を知りたいんですよね。
わかってる、わかってるけど、
話すと長くなるんですよ。
まあ、おしゃれにはほど遠い靴です。
ぼくは、自然再生士として
大地のお世話をするかたわらで、
山と森のガイドもしています。
お客さんには、登山靴をおすすめしています。
足元を守ってくれる。
石を踏んでも痛くなりにくい。
ぬかるみや木の根の上でも歩きやすい。
慣れない山を安全に歩くなら、
しっかりした登山靴の方がいい。
その一方で、
ガイドのぼくは足袋ぐつを履いている。
ちょっと矛盾して見えます。
でも、一緒に山を歩いていただくと、
帰る頃には、少し分かってくださるんです。
なぜ、ぼくが靴底の薄い靴を履いているのか。
その山には、もう100回ほど登っています。
大きな石がある場所。
雨のあとに滑りやすくなる場所。
木の根が地面から顔を出している場所。
道が急に細くなる場所。
身体が、少しずつ道を覚えてきました。
何度も同じ山を歩いていると、
安全に登ることの先に、
もうひとつの歩き方が見えてきます。
足の裏で、
地面の状態を感じながら歩くことです。
足袋ぐつの靴底は、薄くてやわらかい。
厚い靴底なら、
気づかずに通り過ぎるような小さな凸凹も、
そのまま足に届きます。
土がやわらかい。
少し沈む。
乾いている。
水を含んでいる。
細かな石が増えてきた。
土の下に木の根が走っている。
ほんの数歩進んだだけで、
足の裏に届く感触が変わります。
山道を歩いていると、
足の裏が急に冷たくなる場所があります。
見た目は、
それまで歩いてきた道とあまり変わらない。
でも、一歩踏み込むと、
土が少し沈む。
足の指の下に、湿り気が伝わってくる。
そんなとき、ぼくは立ち止まります。
近くに水が流れているのか。
土の下に何があるのか。
水がここに集まっているのか。
目では見えなかったものを、
足の裏が先に見つけてくれることがあります。
自然再生士は、
土地の何を見ているのでしょう。
草の種類。
木の元氣さ。
水の流れる方向。
土の色。
もちろん、そういうものも見ています。
でも、土地を見るために使っているのは、
目だけではありません。
音を聞く。
香りをたどる。
頬に当たる風を感じる。
そして、足の裏で地面に触れる。
ぼくにとっては、
その全部が「観る」ということです。
靴底が一センチ厚くなれば、
その一センチ分だけ大地から離れる。
厚い靴底は、ぼくたちを守ってくれます。
石の痛みも、
地面の固さも、
かなりやわらげてくれる。
でも、守られた分だけ、
届きにくくなるものもあります。
靴底の薄さで感じられるのは、
山の土だけではありません。
都会を歩いていても、
大地との距離は少し近くなります。
ただ、薄い靴底でアスファルトの上を歩くと、
最初はけっこう疲れます。
足の裏が痛くなる。
ふくらはぎが張る。
長く歩くと、身体が重くなる。
最初は、
ぼくの足が弱いのかな。
と思いました。
でも、何度か歩いているうちに、
少し見方が変わりました。
ぼくの身体が弱いというより、
アスファルトという地面が、
それだけ身体に
負担をかけるものなのかもしれない。
土は、少し沈みます。
小石や草や根があるから、
一歩ごとに足の置き方も変わります。
でもアスファルトは、
どこまでも平らで、
どこまでも固い。
歩きやすく整えられているけれど、
着地した力は、そのまま身体へ返ってくる。
厚い靴底を履いていると、
その固さをあまり感じずに歩けます。
薄い靴底にすると、
ここは、こんなにも固い場所だったんだ。
と気づきます。
都会であっても、
ぼくたちは地面の上に立っています。
ただ、その地面とのあいだにあるものが、
少し厚くなっているだけなのかもしれません。
土地のお世話をするときも、
足の裏に届く感覚を大切にしています。
地面から押し返される、
ごくごく小さな声。
固い場所を見つけたとき、
ぼくが知りたいのは、
どうして、この土は固くならなくてはならなかったんだろう。
ということです。
人や機械が、何度も通ったのかもしれない。
水がそこに集まり続けたのかもしれない。
上から流れてきた土砂を、
受け止め続けたのかもしれない。
もしかすると、その固い場所は、
ほかの場所が受けるはずだった負担を、
引き受けてくれているのかもしれません。
土地全体が崩れないように。
水が一気に流れすぎないように。
人や動物が通れる場所を残すために。
そこで、ずっと踏ん張ってきたのかもしれない。
そう思うと、
固いから崩そう。
やわらかくすれば元氣になる。
とは、すぐには考えられません。
まず、ここまでに何があったのかを見る。
この固さは、
何を受け止めてきたのか。
どこから負担が流れ込んできたのか。
その場所だけでなく、
周りの土地も見ます。
土の状態は、
そこだけで生まれたものではないからです。
自然再生士は、
土が固いか、やわらかいかを
判定する仕事ではないのだと思います。
足の裏に届いた感触から、
その土地が過ごしてきた時間を想像する。
ぼくにとって、
薄い靴底は、その入口です。
一緒に歩いていると、
お客さんも少しずつ、
この靴の意味を分かってくださいます。
ぼくが立ち止まって、
「ここ、さっきと地面の感じが違うでしょう」
と話す。
お客さんも、
自分の足元に少し意識を向ける。
もちろん、
厚い登山靴では、
ぼくとまったく同じ感触が届くわけではありません。
それでも、
地面はずっと同じではないんだ。
ということには気づけます。
最初に、
「その靴、なんですか?」
と聞いていた人が、
山を下りる頃には、
「だから、その靴なんですね」
と言ってくれることがあります。
その瞬間、
ようやく質問に答えられた気がします。
言葉では、
うまく説明できなかったけれど。
一緒に歩いたら、伝わった。
足袋ぐつは、
そういう靴なのかもしれません。
まあ、何度見ても、
おしゃれにはほど遠いんですけどね。
今も昔も、
ギャル界隈では厚底が人気です。
でも、いつか薄底ブームが来るかもしれません。
「これ、ちょーよくない?」
「地面、感じれちゃうー!」
そのときは、
ぼくの足袋ぐつも、
少しだけ市民権を得るのでしょうか。
そんな日が来るまでは、
山の中でひっそり履いておきます。
次にあの山へ登るときも、
たぶん足袋ぐつです。
いつもの道を歩いて。
途中で足の裏が急に冷たくなったら、
少しだけ立ち止まる。
そして、
見えない地面の下で何が起きているのか、
考えてみます。
これは、せわしなく生きてきた自分が、
“暮らしを取り戻そうとしている記録”です。
“味わう暮らし”を一緒に取り戻す仲間になっていただけたら嬉しいです。
次の記事も気になるなぁって思ってくださった方、
ぜひ無料で受け取ってください。


















もおちゃんさん、こんにちは🤗✨
足裏で大地の声を聞いて会話しているような、優しいけれど研ぎ澄まされた感じがとても素敵だなあと思いました☺️