持ちすぎると、腐ってしまう。
なんど同じ過ちを繰り返したのだろうか
たくさんあることは良いことだと思っていました。
農業を始めるまでは。
お金もそう。
食べ物もそう。
野菜だってそうです。
たくさん収穫できたら嬉しい。
大きな実がついたら嬉しい。
お米だって、
ジャガイモだって、
トマトだって、
ナスだって。
せっかく育てるなら、
たくさん採れたほうがいいに決まっています。
ぼくだって今でもそう思います。
今年は豊作だといいな。
そんなことを考えながら畑へ出ます。
でも。
農業を続けていると、
だんだん不思議なことに気づきます。
たくさん採れれば、それでいいわけじゃないんです。
例えば果樹には、
「表年」と「裏年」があります。
たくさん実る年があると、
次の年は極端に収穫量が減ることがあります。
木が力を使い果たしてしまうんですね。
だから農家さんたちは、
実を間引いたり、
肥料を入れたりしながら、
木が無理をしないように育てています。
人間から見ると、
たくさん実ったほうが良さそうなのに。
木からすると、
そうとも限らないんです。
最近は肥料も高くなりました。
毎年同じように収穫しようと思うほど、
お金がかかる。
計算してみると、
「これ、買ったほうが安いんじゃない?」
と思うこともあります。
もちろん。
だから努力しなくていいとは思いません。
草は刈ります。
勉強もします。
失敗したら反省もします。
来年はもっと上手になりたいと思います。
でも。
以前より、
欲張らなくなった気がするんです。
もし今年、
思ったより収穫が少なかったとしても。
実が小さかったとしても。
それはそれでいい。
今年はこの量だったんだな。
そう思えるようになりました。
不思議ですよね。
昔のぼくだったら、
もっと採れたはずなのに、
と思っていました。
でも今は、
今あるものを見ています。
そして気づいたんです。
野菜って、
たくさんあっても抱えていられないんですよね。
腐るんです。
お米だって、
食べきれる量には限りがあります。
だから農家さんたちは、
たくさん採れたら近所へ配ります。
お裾分けです。
持ち続けるんじゃなくて、
流していく。
昔からそうしてきたんだと思います。
もしかしたら。
豊かさというのは、
たくさん持つことじゃないのかもしれません。
必要なだけいただくこと。
そして少し余ったら、
誰かに渡すこと。
農業をしていると、
そんな当たり前のことを教わります。
欲張らない。
でも手は抜かない。
できることはやる。
工夫もする。
努力もする。
その上で、
今年やってきた実りを受け取る。
ぼくは最近、
そんな生き方に少し憧れています。
これは、せわしなく生きてきた自分が、
“暮らしを取り戻そうとしている記録”です。
ほっとするエッセイをお届けします。
ぜひ無料で受け取ってください。
“味わう暮らし”を一緒に取り戻す仲間になっていただけたら嬉しいです。













いやー今日もほんとに素敵!それこそ新鮮な野菜を分けていただいたような気分になります。
朝から泣きそうになってる。無理、してるんだろうな…