無限に買えると思ってた、金さえあれば
もしも、この気が遠くなる作業をしなかったら
恥ずかしながら、
田舎で暮らすようになって初めて気がついたことがあります。
それは、「たべものには、限りがある」ということ。
都会で暮らしていた頃は、
お金さえあれば、
食べ物は、
無限に
買えるものだと思っていました。
スーパーに行けば、
いつだってお米は山積みになっている。
だから、どうやってお金を稼ぐかということばかりを、一生懸命に考えてきました。
もちろん、わかってますよ。
この世界には、
ひもじい思いをしている人がいるんだってことくらい。
けれど、
まるで湯水がわくがごとく、
毎日
スーパーやコンビニに
ならぶ食べ物を見ていると、
まるで無限に食べ物はあるんだって。
そう思わせてくれるんだよなぁ、って。
でも、高知県に移住して。
自分でお米を作るようになって、
思い知ったんです。
ご飯を手に入れるのって、
こんなにも大変なことだったのか、って。
それは、作業の大変さももちろんあるけど、
僕がいま、
山のなかにある
「棚田(たなだ)」でお米を作らせてもらっているからでもあります。
平野にある田んぼは、
たいてい四角くて広いです。
作業もしやすい。
でも、棚田は違います。
丸かったり、ひょうたん型だったり、
ユニークな形をした田んぼばかりです。
田植えは、機械を使うこともあります。
機械は確かに早くて便利です。
でも、決して万能ではありません。
棚田のようにカーブしているところや、
田んぼのすみっこには、
どうしても機械が入ることができないんです。
じゃあ、どうするか。
人が手で植えるんです。
ひとつひとつ。
泥に足をとられながら、
丁寧に手で植えていきます。
これが、ものすごくしんどい。
田植えが終わる頃には、
夏のかほり。
気温はずいぶん上がっていて、
とにかく暑い。
泥のなかは歩きにくくて、
前かがみになって腰を折るから、
体中が痛くなる。
本当に、
気が遠くなるような作業です。
「もう機械であらかた植えてあるんだし、
すみっこの手植えなんて、
やらなくても別にいいんじゃないか?」
そう思おうと思えば、
思えてしまいます。
し、そうできます。
そうしたいと何度も思ったよ。
ぼくはこの「気が遠くなる作業」が、
どれだけ大切なことなのか、
わかっていなかったんですね。
ぼくが、手でひとつ苗を植える。
すると秋にはそこに、
「お茶碗軽く一杯分」のお米が実るそうです。
この「お茶碗一杯分」が、
心のなかに、
すごくリアルな実感として響きました。
ぼくがひと苗、泥に植えさえすれば。
誰か一人の、一食分のお腹を満たすことができる。
2回植えれば、2食分。
3回植えれば、朝・昼・晩のご飯になります。
うちは5人家族です。
計算してみると、15回、手で植えれば、
家族みんなの1日分。
450回手で植えれば、
「5人家族が、1ヶ月間、1日3食お米を食べられる」ことになります。
1回手を動かせば、誰かのお腹を満たせる。
これが。
もし、僕が「しんどいから」と手を止めてしまったら。
誰かが1食分、ご飯を食べられなくなる。
あと500ヶ所植えられるスペースがあるのに、「大変だから」とやめてしまったら。
僕たち家族は、1ヶ月以上、お米を食べられなくなってしまうんです。
(しかもこれは、「軽く一杯」の計算です。育ち盛りの子どもたちは、一食で二杯は食べますから、全然足りません)
冷たい言い方をしてしまえば、
手で植え直すなんて面倒なことは、
しないほうが楽です。
余計なお金も時間もかからないから、
そのほうが、
もうかる農家さんもいるのかもしれません。
でも。
もし、
全国の農家さんたちが
「そんなのしんどいから、もうやらん」って、
ひと苗を惜しんで植えるのをやめてしまったら。
僕たちの目の前には、
お米はやってこないのかもしれない。
僕が都会にいたときに錯覚していた、
スーパーにお米がいつでも山積みになっているあの景色だって、
本当はどこにもないのかもしれない。
そう思うんです。
農家さんたちが、
このひと植えを惜しまずにやってくれること。
「このひと苗を、ここに植えよう」と思ってくれる、その優しさや願いのような気持ちは、
絶対にお金には代えられないものです。
そんな農家の方々の思いに、
自分の手を通して触れたとき。
ぼくは、とてつもないありがたさを感じました。
「これだけやって、これっぽっちしか取れないんだ」
じつは、そういうことじゃなかったんですね。
「1苗=お茶碗一杯」という事実を知ったあと、
泥だらけのぼくは、なんだかちょっぴり満ち足りた気分になっていました。
無限にあると思っていた頃より、
誰かの思いに支えられて、限られたものを分けてもらっていると知った今のほうが、ずっと豊かな気がするんです。
今あるものを、精一杯いただこう。
目の前にあ大切なものを、できる限り長く、大切にしていこう。
泥のついた手で汗をぬぐいながら。
そんな思いが、静かに湧いてきました。
これは、せわしなく生きてきた自分が、
“暮らしを取り戻そうとしている記録”です。
忙しさで感覚が鈍ってしまった人へ。
“味わう暮らし”を一緒に取り戻す仲間になっていただけたら嬉しいです。





















Merci pour cet article. J'ai découvert le principe de Yohaku avec votre profil. Et merci de nous faire partager votre philosophie de l'effort. Oui, les coins qui ne sont pas conformes produisent aussi de bonnes choses si l'on y consacre sa sueur, comme chez les humains.
(J'écris en français car je fais confiance au traducteur intégré. :) )
農家の皆さん🧑🌾♪✨✨
美味しいお米ありがとうございます🌾✨✨